人生ぬるま湯主義

つれづれなるままに以下略

いい声してますね

 

はい。

このアンケートをとってからいま記事を書きはじめるまでにほんの些細なタイムラグがあったようですが、そのあたりは「ジョジョの奇妙な冒険」第一部の名台詞「あしたっていまさッ!」を引用することによってうやむやにさせていただきます。

 

週末なんかにひとりで飲みにいき、といっても行き先はほとんどの場合、馴染みのお店。店員さんや同じく常連の人たちと会話しながら飲んでいることが多いのですが、そんなタイミングで初対面の方ともお話する機会があると、決して低くない頻度で言ってもらえる言葉が「いい声してますね」。

その評価自体は大変にありがたく、このごろはようやく自分でも「すると僕の声は世間的に”いい声”といって問題ない声なのだな」と思えるようになって、さらっと「あ、本当ですか。ありがとうございます」と返せるようになってきたわけですが、ん~、どうなんでしょう。はたしてそれは喜ばしいことなのか。

 

喜ばしいことではあるんでしょうけれども、しかし、嬉しいことなのかどうかと問われれば、「ビミョ~」かもしれません。

第一に、まあ、これは多くの人も同じことを思うんでしょうけれど、僕は自分の声がそんなに好きではない……少なくとも、「こういう声だったらよかったな」という声からは少し外れるもんですから、その自己評価とのずれという原因が挙げられます。

自分の声の録音を聞くのは、大学生だったころにやっていた芝居の録画をはじめ、それなりに機会があるもんですから、「骨伝導で聞いている自分の声より録音された自分の声の方が低く聞こえる現象」への違和感はそれほどないんですけど、そもそも自分がしゃべっている最中に”聞こえて”いる自分の声よりも少し高めの声が”相手に聞こえている声”ぐらいだと理想的だなー、という感覚がぼんやりあるもんですから、皆様に声を褒めていただいても「でも、その声よりよさげな〈声像〉、あるんだよね~……」となってしまうのは致し方ない。

第二に、声って、生得的なものじゃないですか。もちろん、声の出し方や母音子音の発音のクセみたいなものは後天的に決定されてきたものとはいえ、声帯の構造自体は、これはもう生まれ持ってのものとしか言いようがない。なんというか、自分が何も努力してなくてあらかじめ持っているものを褒められても……ねえ。それだったら僕は、顔の方を褒めてもらいたいです。「かっこいい顔してますね」とか「きれいな顔立ちですね」とか。そんな言葉をかけてもらった経験、ありませんけど。

 

やっぱり、声を褒めてもらえるよりは、たとえば演技とか短歌を褒めてもらえる方が嬉しいです。居酒屋なんかではじめてお会いした方に演技や短歌を披露する機会がはたしてあるのか、という問題はさておいて。

 

何よりも問題なのは親密になった人ほどに「いい声してますね」から「声はいいですね」、さらには「声だけはいいのにね…」という具合に評価が変化していく僕のチープな人間性なのではないか、という可能性からはスタイリッシュに目をそらしつつ、この記事はここらでおしまいにしたいと思います。