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人生ぬるま湯主義

つれづれなるままに以下略

真面目さと深刻さについて

もうしばらくまえのことになるけれど、『シン・ゴジラ』について、この映画を観ている最中に笑う人のことが理解できない、という感想を縷々綴っている御仁を目撃した。(http://www.goodbyebluethursday.com/entry/shingodzilla_review
有事の際にまっさきにストレスで「戦闘不能」になってしまいそうな方だな、と思った。

深刻な事態において人は深刻で真面目な、表情をして、一切のユーモアや笑いは廃されるべきである、と主張する人がいる。申し訳ないけれども、そんな「真面目さ」は「“クソ”真面目」以外の何者でもないと、僕は思う。
この手のクソ真面目さは、己の健全な思考力を失わせ、のみならず攻撃的になり周囲の人間をげんなりさせるという悪影響こそあれ、けっして好ましい効果を及ぼしはしない。

“笑う哲学者”こと土屋賢二氏は、エッセイの中で、笑いには対象の重要性をはぎとるという攻撃性があるとしたうえで、次のように述べている。


「笑うことができるのは人間だけである。コンピュータも動物も笑えない。このことは笑いが高級であることを示すものではない(罪を犯すのも締切を守らないのも人間だけなのだ)。むしろ、人間だけが笑う必要があることを示しているように思う。人間はさまざまなもほを過度に重要視する強い傾向がある。こだわっている対象を笑って攻撃することによってこころのバランスを保つ必要があるのだ。」(土屋賢二『人間は笑う葦である』2001、文春文庫)


困難…とまではいかないものの、ストレスを感じる状況に直面したとき、健全な精神を保つためには笑いが必要である。思わず顔がこわばってしまうようなシチュエーションでどれだけリラックスした笑みを浮かべられるかということに、あなたのタフさが試されていると言ってもいい。
とはいうものの、当意即妙のユーモアでもってして笑いを生み出すのは難しいかもしれない。
しかし、安心されたし。
自分の心の余裕さえ生めばよいというのであれば、かならずしも機転をきかせてユーモアを発揮しなければならぬということもない。

こんな実験があったそうだ。
被験者に、ペンを口にくわえて漫画を読んでもらう。かたや、ペンを縦に(「う」の口で)くわえて、かたや、ペンを横に(「い」の口で)くわえて。
すると、後者の方が読んだ漫画を面白いと感じる割合が高くなったというのだ。理由は、口の形が笑顔になっているから。(https://www.1101.com/ikegaya2010/2010-10-06.html

心理状態が身体的振る舞いや態度に表れることは、誰でも経験的に知っている。けれども、逆に、身体的振る舞いや態度もまた、心理状態に影響を及ぼすのである。
だから、心に余裕をもちたかったら、ひとまず余裕がある振る舞いをすることだ。そうすれば、心の余裕はあとからついてくる。

諸君、肩の力を抜き、深刻な顔をやめて笑顔になりたまえ。真剣な話をするのは、それからでも遅くない。
笑いをもって貴しとなし、仏頂面となることなきをむねとせよ。