人生ぬるま湯主義

つれづれなるままに以下略

連作短歌「ヌジャボホロ星から来た男」

明日からホームステイに来るというヌジャボホロ星人の男性


「地球へは観光ですか?」「仕事です。ケイ素が安く手に入るので」


「地球にはこれがはじめてです。空の色が違って新鮮ですね」


「話には聞いてましたが四つ脚のけものを見ると驚きますね」


「ヌジャボホロ星といっても広いので国や文化もいろいろですよ」


異星より来たる男が住む国の名前を書ける仮名がないこと


異星より来たる男が母国語で話すしらべは雅楽にも似る


異星より来たる男が舞う 違う 翻訳機電池切れのサインだ


異星より来たる男が熱心にカメラを向けるシンクの蛇口


異星より来たる男と妻の愚痴を語ったのちに交わした握手


「有機物製のメディアは希少です。それは? システム手帳? なるほど」


〈ヌジャボホロ星人用の食事には塩の使用は厳禁のこと〉


アルコールにて酔っぱらう我々のようにカロテンにて彼は酔う


人前でパンツを脱がぬ我々のように帽子を彼は脱がない


「地球では自転が少し速いので急かされている気になりますね」


「僕の住む国にも四季がありますが日本はずっと秋って感じ」


「お土産にします」と笑う彼の手のポケットティッシュで笑うデリ嬢


書店にて旅行雑誌を眺めれば飛びこんでくるヌジャボホロツアー


ヌジャボホロ旅行は妻の名において却下「あの星臭いんでしょう?」


星空を見るヌジャボホロ星にいる七本脚のけものを思う

はたしてワタシは喫煙者なのか

暑くなってきましたね(時候の挨拶)。

 

きのうは健康診断でした。病院じゃなくて、商工会議所での集団検診ですけれど。

で、健康診断といえば問診票です。病歴とか生活習慣とか記入するあれです。あれで、毎年どう書いたもんか迷ってしまう項目があるんですよねー。何かというと、「喫煙」の項目です。

もう提出しちゃったんで手もとにはありませんが、問診票にはこのようにあります。「あなたは煙草を吸いますか? 1.いいえ 2.はい 1日(  )本」と。

んん~、煙草を吸いますか?と問われれば、答えは「はい」です。禁煙したつもりもするつもりも今んとこありません。でも、僕の喫煙ペースは〈1ヶ月に一箱吸うか吸わないかぐらい〉。酔ったときか疲れてるときしか吸いませんし、自宅の中でもすいません。となると会社の休憩時間に数本吸うときがあるか、あとはだいたい飲み屋で吸うことになります。朝まで飲んでるような日は口寂しさも手伝って一晩で一箱吸ってしまう日がある一方で、吸わない時期は二ヶ月ぐらい吸いません。

話を戻して、たいていの銘柄で煙草が一箱20本入りだというえことを考えると、平均にならせば1日1本未満の計算です。まさか少数で書くわけにもいかねえしなあ……と頭を悩ませ、メンドクサくなって毎年「いいえ」に丸を書いてます。

 

ここでググって厚労省のPDFを参照すると、

特定健診の標準的な質問票では「現在、習慣的に喫煙している者」の定義として、「合 計 100 本以上、又は 6 ヵ月以上吸っている者であり、最近 1 ヵ月間も吸っている者」 と定めています。

と書いてあります。そうそう、たしかにそう書いてあったような気がします。僕の場合、最後に煙草吸ったのはゴールデンウィークに帰省して地元の友だちと飲んだときに2、3本吸ったっきりですから、最後の「最近1ヶ月間も吸っている者」には当てはまらないので「喫煙の習慣はあるが、習慣的に喫煙しているわけではない者」ということになりそうです。

 

特にオチはないですが今回はこれでオヒラキ。気が向いたらまた今度煙草の銘柄の話でも。

いい声してますね

 

はい。

このアンケートをとってからいま記事を書きはじめるまでにほんの些細なタイムラグがあったようですが、そのあたりは「ジョジョの奇妙な冒険」第一部の名台詞「あしたっていまさッ!」を引用することによってうやむやにさせていただきます。

 

週末なんかにひとりで飲みにいき、といっても行き先はほとんどの場合、馴染みのお店。店員さんや同じく常連の人たちと会話しながら飲んでいることが多いのですが、そんなタイミングで初対面の方ともお話する機会があると、決して低くない頻度で言ってもらえる言葉が「いい声してますね」。

その評価自体は大変にありがたく、このごろはようやく自分でも「すると僕の声は世間的に”いい声”といって問題ない声なのだな」と思えるようになって、さらっと「あ、本当ですか。ありがとうございます」と返せるようになってきたわけですが、ん~、どうなんでしょう。はたしてそれは喜ばしいことなのか。

 

喜ばしいことではあるんでしょうけれども、しかし、嬉しいことなのかどうかと問われれば、「ビミョ~」かもしれません。

第一に、まあ、これは多くの人も同じことを思うんでしょうけれど、僕は自分の声がそんなに好きではない……少なくとも、「こういう声だったらよかったな」という声からは少し外れるもんですから、その自己評価とのずれという原因が挙げられます。

自分の声の録音を聞くのは、大学生だったころにやっていた芝居の録画をはじめ、それなりに機会があるもんですから、「骨伝導で聞いている自分の声より録音された自分の声の方が低く聞こえる現象」への違和感はそれほどないんですけど、そもそも自分がしゃべっている最中に”聞こえて”いる自分の声よりも少し高めの声が”相手に聞こえている声”ぐらいだと理想的だなー、という感覚がぼんやりあるもんですから、皆様に声を褒めていただいても「でも、その声よりよさげな〈声像〉、あるんだよね~……」となってしまうのは致し方ない。

第二に、声って、生得的なものじゃないですか。もちろん、声の出し方や母音子音の発音のクセみたいなものは後天的に決定されてきたものとはいえ、声帯の構造自体は、これはもう生まれ持ってのものとしか言いようがない。なんというか、自分が何も努力してなくてあらかじめ持っているものを褒められても……ねえ。それだったら僕は、顔の方を褒めてもらいたいです。「かっこいい顔してますね」とか「きれいな顔立ちですね」とか。そんな言葉をかけてもらった経験、ありませんけど。

 

やっぱり、声を褒めてもらえるよりは、たとえば演技とか短歌を褒めてもらえる方が嬉しいです。居酒屋なんかではじめてお会いした方に演技や短歌を披露する機会がはたしてあるのか、という問題はさておいて。

 

何よりも問題なのは親密になった人ほどに「いい声してますね」から「声はいいですね」、さらには「声だけはいいのにね…」という具合に評価が変化していく僕のチープな人間性なのではないか、という可能性からはスタイリッシュに目をそらしつつ、この記事はここらでおしまいにしたいと思います。

ムーブメントに乗せられて

Twitterのタイムライン上でのブログ開設ブームに乗せられて、はらいさんもよく考えないままにはてなIDを作ってはてなブログを開設してみたのである。

 

だが、いまは午前1時半。

 

はらいさんも、すでに、けっこう眠い。

 

いまは週の半ばは水曜日……というか、すでに木曜日である。ここで、長々と「ちゃんとした記事」を書きにかかるのは危険な行為でしかない。

 

何? だったらブログ開設自体もっと余裕のあるときにしておけ?

まっこと正論。

はらいさんは、正論を好まない。少なくとも言われる方は。

 

 

 

 

人生ぬるま湯主義。

 

 

 

ぬるま湯にぬくぬくと漬かっていられるためになら、はらいさんは、煮え湯につかる努力も惜しまぬ覚悟である。